都茂丸山銅山跡。881年(平安時代!)に採掘が始まったとされる、とても歴史のある鉱山。
石見銀山が始まったのが戦国時代の後期だから、圧倒的にこちらが古い。
昭和62年に閉山されるまで、1100年も稼働されていた。
ここで働いた人々の技術が石見銀山に伝わったとされている。
飯盛山に登った時、長老がこの銅山の事を話されていたので訪ねてみたかった。
坑道内は立入禁止。辺りに寺が建立されていたらしいが、今は跡形もない。
ですが、歴史的観点から見ると極めて重要な遺跡です。
坑道の脇をさらに進むとやがて急登になり、県道172号線に出る。

















※ スマホでギャラリーをご覧の方は、横向きにすると良いかと思います。
登山データ
寸評
登る方へ
距離1.8km 時間44分
最低高度 420m
最高高度 483m
累計高度(+) 97m
累計高度(-) 99m
【15:38】駐車場
【15:47】銅山入口
【15:54】旧安養寺跡
【15:59】正福寺跡
【16:05】山神大切坑跡
【16:09】人間歩跡
【16:14】県道172号線
アクセスの良さ | ![]() ![]() |
登山道整備度 | ![]() ![]() ![]() |
急登度 | ![]() ![]() |
秘境度 | ![]() ![]() ![]() |
眺望の良さ | ![]() ![]() |
※ 上記の評価は自分の独断と偏見によるものです。山の魅力を表すものではありません。
駐車場情報
県道314号線と県道172号線との交差地点に案内の看板と駐車スペースがあります。
この銅山の技術が石見銀山に伝わったとされる貴重な鉱山跡です。 美都の山本集落からの道は狭いのでお気をつけて。離合箇所は随所にあります。
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