石見・四ツ山城跡

益田市美都仙道地区にある、地元でも親しまれている山城。
同じような形をした4つの山をひとつの城としたところから、このような名前になったと思われる。
丸茂城と同じく鎌倉時代、益田氏と三隅氏の争いに巻き込まれ領有は度々変わった。
戦国時代、毛利家の侵攻を受け当時の城主須懸備中守忠高は五百の兵と共に討死した。

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