土に還った集落 ~美都 芋尻~

だいぶ前の話になるが、会社で地図を眺めていた時、会社の同僚からこんな話を聞いた事がある。
「あ、ここの芋尻いもじりってところに昔自分のおばあちゃんが住んでたんですよ。」
なに?それは俺に行ってこいということか?(笑)

「芋尻集落」
調べると、昭和45年頃には既に無住状態になったと云う。自分はまだ生まれてもいない。
居住者はすべて「大谷」姓だったらしい。石垣や墓くらいは残っているだろうか。美都町山本地区にやってきました。

国土地理院地図では西の葛籠つづら集落から2本の波線が伸びている。南側を調べてみようと入口付近にさしかかったところ、地元住民の方が土木作業をされていた。挨拶して芋尻の事を伺ってみる。

「あ~昔はこっから道が続いてて人も通っとったらしいんじゃがね。今は全然道は無いよ。北のダムを渡って進めば、もしかしたら行けるかもしれん。」

実はこの方、都茂丸山銅山跡の道に梯子を作り整備された人でした。
都茂銅山の歴史や芋尻の子孫の事、美都の町の事など話が盛り上がって15分くらい談笑する。子孫は山を降りて益田の市内に今も住んでいるとの事。お礼を言って別れ、引き返して嵯峨谷さがだにダムを目指す。
足がすくみそうな巨大ダムを渡ると草に覆われた道が続いている。たしかに荒れているが、進んでいくと立派に道が残っている。

しかし、肝心の集落はそこにはもうありませんでした。見つけたのは金属製のストーブと煙突。おそらく炭焼きに使われたもの。後はテレビの残骸等。尾根を登り標高の一番高いところに行ってみたが、見事に何も無い。ここに無ければ他を探しても無駄だろう。あきらめて下山しました。

「もう何も残っとらんと思うよ。」

老師の言葉は正しかった。後で航空写真も確認してみたが、やはり森しかない。もはやどのような集落だったのか調べる術は無くなった。謎は謎のままおいておくのもいい。後日会社の同僚に報告しミッション終了としました。

それにしても、ライフラインもろくに整備されてないであろう山の中での生活。昔の人のたくましさには驚くばかりです。はたして人間は進化したのか退化したのか考えさせられます(笑)

原風景写真集葛籠集落を追加しました。

※この記録は立入禁止区域を歩いています。もし県や市からの勧告があった場合、このページは予告なく削除する可能性があります。

BGM流せます。

※ スマホでギャラリーをご覧の方は、横向きにすると良いかと思います。

登山データ
寸評・川柳
登る方へ

距離7.6km 時間3時間17分

歩行時間            2時間50分  
最低高度            206m   
最高高度            444m
累計高度(+) 396m   
累計高度(-) 397m

【10:00】出発点
【10:10】長老とお話
【10:26】県道172号線入口
【10:44】嵯峨谷ダム
【11:26】炭焼き場跡?
【11:53】最高標高地点


歩行状況

標高推移

 

 

アクセスの良さ
登山道整備度
急登度
秘境度
眺望の良さ
都茂鉱山整備士との出会い

※ 上記の評価は自分の独断と偏見によるものです。山の魅力を表すものではありません。

駐車場情報

県道172号線と314号線の分岐付近に停めました。

立入禁止のダムを渡っているのでおすすめはできません。

地図データ

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